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往診日記DIARY

57.ある苦い思い出

師走の声を聞くと、5年前のある患者さんを思い出す。話の大好きな高齢のおばあちゃん。耳がほとんど聞こえないので、会話は一方通行。開業間もない私は仕事もなく、おばあちゃんの家でゆっくりお茶を飲みながら、1世紀に及ぶ彼女の人生劇場を堪能させていただいた。時には私たちを気遣って「今日はこれくらいにしようね。続きは、こ・ん・ど」と、愛嬌たっぷりの笑顔で見送ってくれることも。

そんな彼女が、肺炎がもとで寝たきりとなり、その年の師走、まさに看取りの時を迎えようとしていた。家族から「母の呼吸が荒くなったので一度診てもらえませんか」と往診依頼の電話が入ったのが午後8時頃のこと。

ちょうど、その夜は忘年会。後ろめたさを感じながら、安定剤の坐薬を使ってひとまず様子をみてもらうことにした。会が終わり、電話を入れたところ「坐薬が効いたのか、今はうとうと休んでいるようです」と娘さん。私はホッと胸をなでおろし、帰宅した。

翌朝早く、家族から連絡が。「さきほど息をひきとりました」。私は急ぎおばあちゃんの家に向かった。道中、昨夜のことが頭から離れなかった。往診の依頼がありながら診察に伺わなかったことを悔やんだ。部屋に入ると、そこには穏やかなおばあちゃんの顔があった。

死亡診断書を書き終え、娘さんに手渡そうとしたとき、「母からです」と一枚の紙が差し出された。「昨夜、母はかなりしんどそうでした。先生に会いたかったようです。しんどさを何とかしてほしかったのと、おそらく直接お礼も言いたかったのだろうと思います。先生がお忙しいことを伝えると、がっかりした表情でこれを・・・」。そこには震えた文字で「センセイ、アリガトウゴザイマシタ」。

娘さんの言葉に胸を締め付けられた。一枚の紙に託したおばあちゃんの気持ちを思うと、申し訳なくて言葉が出なかった。その紙は今でも大切にしまっている。私の数ある苦い思い出のひとつとして。

   画 植田映一 尾道市向島在住

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